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ブックソムリエ鍋島の今月の1冊 1月

[ブックソムリエ鍋島の今月の1冊] 2016年01月01日
『バベットの晩餐会』 イサク・ディーネセン
みなさんはカフェアングレというレストランの名前を聞いたことがあるでしょうか。
世界でもっとも歴史ある百科事典といわれるブリタニカに、19世紀のパリでもっとも有名なレストランと書かれているのがこのカフェアングレで、花の都パリの貴族やブルジョアジーが舌鼓をうったところだそうです。

 主人公のバベットは架空の人物ですが、このカフェアングレではじめての女性シェフとして活躍し、「料理を恋愛にまで高めた」天才料理人という設定です。

 時は1871年、舞台はパリコミューンという歴史的大事件。労働者たちが自由を求めて反乱を起こし、フランス国軍が弾圧します。コミューン支持派として闘ったバベットは夫と息子を殺され、軍に追われます。すべてを失ったバベットは知人を頼ってノルウェーの片田舎へ亡命するのでした。

 小さな教会の家政婦として14年の月日を過ごしたバベットは、なんと宝くじに当選します。そしてこの宝くじのすべてを費やしてお世話になった教会の老人たちに一世一代の晩餐会をふるまいます。フランス料理など聞いたことしかないという田舎町の老人たちを相手にどんな晩餐会が開かれるのか、それはお楽しみです。

 イサク・ディーネセンの手によるこの瀟洒な物語は決して政治的な話ではありません。パリコミューンやカフェアングレに象徴される政治、経済、文化の中心地であるパリと、鱈の干物で毎日を過ごす海と山に閉ざされたノルウェーの田舎という対比を背景に、質素倹約を信条とし独身を貫いて教会を守ってきた老姉妹、そしてそれをとりまく人々の人生模様が縦横無尽に織り込まれて物語は進行します。そのクライマックスにバベットが腕を振るう晩餐会に人々があつまります。見たことのない料理と美酒のうちにそれぞれの登場人物の小さな物語もすてきなクライマックスを迎えていきます。

 禁欲と快楽、貧困と贅沢、名誉と幸福といった哲学的な問題がまるで絹織物のようにさらさらと編み上げられ、読み手に心地よい「悟り」をもたらしてくれるこの作品、ぜひお手にとってみてください。

 余談ですが、作者のイサク・ディーネセンは典型的な男性名なのですが、本名はカレン・ブリクセンという女性です。1950年当時、女流作家が認められなかった時代にやむなく男性名で作品を発表していたのでした。その時の思いは彼女の自伝的な小説である『アフリカの日々』に書かれています。この作品は「愛と悲しみの果て」という邦題で映画化されています。またバベットの晩餐会も映画化されているので、興味のある方は映画もお楽しみください。