本の部屋Blog

【読書にまつわるエトセトラ #3】トラウマ作家 (上之巻)

[読書にまつわるエトセトラ] 2016年03月31日
あいつは何度でも現れる
本を読んでいると好きな作家できるのはもちろん、苦手な作家というのも出てくる。
苦手なだけなら読むこともできるが、その上を行く「トラウマ作家」となると読もうとしても体が拒む。

三島由紀夫は私のトラウマ作家である。

彼の作品に初めて触れたのは高校生の頃、文学少女気取りだった私は、芥川龍之介全集を読了し、次なる文豪の作品として三島由紀夫の『仮面の告白』に手を出した。とくべつ三島由紀夫を読みたいと思ったのではなく、図書室の新着コーナーでたまたま目に留まったのだ。そして『仮面の告白』は、初めて途中で読むことを放棄した文学作品となった。

読んだのは作品の前半、思春期の少年の性に対する悩みが延々と述べられる部分。陰鬱として生々しく感じられる文章に、やや潔癖だった女子高生は嫌悪感を覚えたのだ。ドラえもんで言えば、しずかちゃんの「のび太さんったらフケツ!」くらいのことなのだが、すっかりトラウマになってしまい「由紀夫さんったらフケツ!」と近寄ることができなくなってしまった。その点、何度入浴シーンをのぞかれても友だち付き合いを続けて、とうとう結婚までするのだからしずかちゃんは偉い。

あいにく、しずかちゃんほど器が大きくなかった私は、それから彼を避け続けた。他の作品を読むこともなければ、彼自身について知ろうとすることもなかった。
ただひたすら「由紀夫さんなんてキライ!」と言い放ってそっぽを向いていた。

しかし、由紀夫はすごかった。避けても、避けても、向こうから近づいてくる。

大学生になった私は部活動で能を習い始めた。不可思議な姿勢や動きをし、出したこともなような声を出しながら、古典や神話の世界に親しむ、初めてだらけの楽しい日々。そこへ彼はやってきた『近代能楽集』をいう作品を携えて。もちろん読まなかった。舞台も観なかった。タイトルだけを耳にしながらなんとなく聞き流し続けた。

そんな私に向けて、彼はかなり強引な手段を使ってきた。

ある年、川端康成についての授業を受けることにした。未読の『雪国』を扱うとのことで楽しみにしていたのだが、3回目の授業から先生が現れない。お加減が悪いらしく、以後の講義は別の先生が担当されるとのこと。少々残念ではあったが「川端康成が学べるならいいや」と次の講義に出席したら、先生の都合で講義のテーマが川端康成から三島由紀夫に変更になっていた。「よりによってミシマ!」と内心白目を剥く私の脳裏に、彼の高笑いが響き渡る。実際の彼が高らかに声を上げて笑うような人物かどうかもちろん知らない。

 もちろん私は逃げ出した。それから講義には一度も出なかった。しかし避けられないのがレポート。単位は一応欲しかった。しかたなしに本屋に出向き、一番薄い本という理由で『サド侯爵夫人』を買った。何とか目を通して、うすっぺらい読書感想文のようなレポートを提出した。評価は「可」。限りなく「不可」に近い「可」だったのは言うまでもない。

なんやかんやで、大学を卒業し社会人というものになると、さすがに由紀夫もあきらめたと見えて、「私に苦手な作家などいない」と思えるくらいに平穏な日々を過ごした。

しかし彼はあきらめていなかった。三島は4度現れた。

 

――次月へ続く――

 

(島村瑞穂)