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【ブックレビュー#21】『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』アルベルト・ムヒカ

[ブックレビュー] 2016年04月18日
この人物、本の表紙絵のように牧歌的ではない。1960年代には南米最強と言われた左翼ゲリラ組織で活躍し、13年間を獄中で過ごしたツワモノである。それから50年の月日を超え、南米初の左翼政権の誕生をリードし、2010年ついに大統領になった。



大統領になっても保有資産は友人からもらったフォルクスワーゲン1台と自宅のみ。大統領官邸には住まず、自宅農園から大統領府へと自らおんぼろワーゲンを駆って「通勤」する頑固おやじだ。

 そんな頑固おやじが地球温暖化対策の国連会議でしゃべることとなっても、国際社会はさして注目しているわけではなかった。2012年、リオデジャネイロ、国連持続可能な開発会議。各国代表がこぞって温暖化への技術対策を論じる中、彼は静かに人間の真の貧しさについて語り始める。老いぼれた大統領の愚痴、とでもいうように最初は聞き流していた聴衆は、彼の力強く核心をつく議論に次第に引き込まれていく。ついにはスタンディングオベーション。国家と思想を超えて心に刺さる名スピーチは、こうして生まれた。

 人は何のために「開発」するのか?そう問うムヒカ氏のロジックはシンプルだ。だが彼の生涯を賭した闘いが物語るように、ひとつの政治的決断を下すために人間はどれほどの時間と血を費やすことか。そのアイロニーが壇上に立つムヒカ氏の肉体に刻み込まれている。登壇したときにはただの80歳の老人にしか見えなかった彼の姿が、彼の言葉とともに大きくなり、やがては万雷の拍手を呼び込む巨人の姿へと変貌する。

歴史は繰り返す。無力を思い知らされるその重力を振りほどく希望がそこに見え隠れする。

 氏のスピーチは共感を呼び、多くの人がムヒカ氏に希望を見出したようだ。各国でこのスピーチは翻訳され、日本でもムヒカ氏を招待しての講演会やテレビ中継がなされた。ムヒカ氏の人となりを紹介する様々なエピソードも盛んに紹介されるようになり、希望は拡散しているのかもしれない。

 とはいえ、氏をあらためてじろじろ眺めてみても私たちには歴史の真実も、未来への課題も見えないのではないだろうか。汝自身を知れ。そうムヒカ氏から聞こえてくるような気がするのである。

 

(ブックソムリエ 鍋島)