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【読書にまつわるエトセトラ #4】トラウマ作家 (下之巻)

[読書にまつわるエトセトラ] 2016年04月30日
私は年をとるが、三島由紀夫の作品は年をとらない。
【読書にまつわるエトセトラ #3】トラウマ作家 (下之巻)

前回までのお話はこちら⇒ https://obp-ac.osaka/blog/biblio_room/440.html

 
大学卒業後、何度か職を替えて2015年に株式会社まなれぼという会社に入社した。

主な業務はOBPアカデミアの施設運営。平たく言えば「受付嬢」だ。ちなみに「受付嬢」は何歳になっても「嬢」なのである。「受付婆」になったりはしない。受付カウンターで年を経し受付婆。もはや妖怪コントみたいな響きだ。個人的には嫌いじゃないけど。


それはさておき、接客以外の仕事としてOBPアカデミア内で開催する各種イベントの企画運営というものがある。私の場合は、基本的に文化講座を企画しているので、根っから文系の身としては、かなり趣味と実益を兼ねた仕事となっている。というか、もはやただの趣味である。

その文化系の講座のなかで、美術館の催しにちなんだテーマを扱うことがある。
決して私自身アートに詳しいわけではないので、面白そうと思って物を日々勉強しながら企画している。

ある日、国立国際美術館で森村泰昌という人物の存在を知った。
日本の現代アート界の重鎮で、絵画の登場人物や映画女優、歴史上の有名人物に扮したセルフ・ポートレイトで有名なアーティストである。

私が見かけたのは彼の大規模個展のチラシで、そこにはデューラーに扮した森村氏の写真が大きく使われていた。「なんだこの面白い人は!」とすぐに彼のことを調べ、著書を読んだ。すると出てくるのだ三島が。
 
森村氏の作品「なにものかへのレクイエム」には、自決前の三島由紀夫に扮した作品がある。また彼は、1994年には東京大学駒場の900番教室でマリリン・モンローに扮するというパフォーマンスを行なっている。900番教室とは、かつて三島由紀夫が全共闘と討論会を開いた会場であり、かのパフォーマンスは、もちろんこのことを踏まえて行われている。

うわ、お久しぶりの三島登場!と思ったけれど、この時はこれ以上に三島を構うことはなく、4度目の遭遇は比較的あっさりと終わった。
 
それからひと月も経たぬうちに5度目の再会を果たす。今度は「横尾忠則と三島由紀夫」である。

6月にOBPアカデミアでは「横尾忠則入門~異界とつながる画家の生涯をなぞる~」と題した講演会を予定している。この企画にあたって、昨年から横尾忠則のことを少しずつ学んでいるのだが、これまた三島由紀夫とゆかりの深いアーティストである。

こうも度々出会うのでは、やはり一度きちんと向き合わなくてはいけないのではないか。
ようやくそう思うようになった。人のすすめもあり、ついに彼の作品のページを開いた。
「由紀夫さんなんてキライ!」とそっぽを向いてから16年の月日が経っていた。

 『美しい星』を読んだ。

自分たちは異星人であるという意識に目覚めた一家を主人公に据えたSF的作品である。
設定からして「なんだそれは」と突っ込みたくなるが、主人公たちは生真面目に人類の存続と平和のための活動に励んでいる。
情熱的で大きな志を持ち、やがて熱狂的なファン多数を生み出す彼らの活動は、醒めた目にはともすれば滑稽に映る。

この滑稽さは、三島由紀夫の生きた時代の温度を知らない私が、彼自身に抱いている感情そのものなのだと思う。

作中で三島は登場人物の口を借りて人類について延々と語るのだが、その行間には生き苦しさがひしひしと伝わってくる。伝わってはくるが、抱く感情といえば「こんなことを考えて暮らしていたのでは、さぞしんどかったやろうなぁ」という何とものんびりとした思いだけである。

私は年をとるが、三島由紀夫の作品は年をとらない。大人になることで、見えるものの角度が変わり、子供のころに背伸びして垣間見た光景も、背が伸びれば当たり前のように見下ろすことができるようになる。そうなると、昔感じた強烈な嫌悪感も、自然と薄れてくる。

今まで嫌っていた三島がかわいそうになって「なんかごめんなぁ」と謝りたい気持ちになった。好きかと問われれば「あんま好きやない」とは答えるけれど。

(島村瑞穂)

 

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