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【ブックFOREVER #5】『数学序説』吉田洋一・赤攝也

[ブックFOREVER] 2016年06月26日
最近みなさん英語を勉強せなあかんとあせってますけど、数学をお忘れではございませんか??
グローバル化の波がついに日本にも押し寄せてきて、いまや日本中が英語のプレッシャーから逃れようと七転八倒するありさま。私の周りでもにわかに英語を勉強する人が増えて、英語であまり苦労したことない私は(嫌味かっ?!)人からいろいろ聞かれても頓珍漢な答えで煙にまいております。

 そんな“英語コンプレックス”がまん延するなかでたいへん恐縮ですが、みなさん、数学ができないほうがよほど深刻と思うのですが・・・などというと、もう胃に穴が一つや二つではすまなくなりますね。それほどこの英語と数学は、コンプレックスに直結するいまや2大エリアではないかと思いますが、今回の【ブックFOREVER】ではその「数学」というのをとりあげてみようと思います。



■英語か、それとも数学か?? コンプレックスの王様はどちら?

 そもそも数学がなぜ私たちにある種の劣等感や優越感を引き起こさせるものになっているかというと、やはり数学ができるできないで進路が大きく違ってくるということがあげられます。そして日本ではどちらかというと数学ができるコースの方が優秀とみなす慣習があります。科学技術が莫大なお金を生むものですから、これは日本に限らず諸外国でも共通することだと思いますが、それゆえ私たちの心は微妙にこの数学ということばに揺さぶられてしまいます。
 
 1953年に出版された『数学序説』という本の著者たち、吉田さんと赤さんという二人の数学者たちは、このコンプレックスをほどいて、みんなに数学の面白さをわかってもらおうと本書を世に送り出したわけですね。できるだけ簡単な言葉で数学を解説しようと。それが成功したかどうかというと、まあ正直に言って本書を読むのも骨が折れます。だからあの数学特有の、計算式でめまいがする感じがまったくない本かというと、そうはいきません。多少のめまいは覚悟で読んでください。じつは数式のところをまったく読み飛ばしても、それなりに意味はわかります。そんなナナメ読みもおススメです。

■「人を口説く術」としての数学

  この数学の本の何がおかしいかというと、数学がよりよく「人を口説く」ということをめざした学問だということからスタートしていることです。おいおい、数学で人を口説けたら苦労はせんで、思うのですが、まあそこはちょっと彼らの話しにのってみましょう。

「人間は考える葦だ!」という名言を残したかのフランスの科学者パスカルさんの言葉を引用してまず次のようにいいます。

 

  「人を説き伏せるには二つの方法があります。ひとつは、人の気に入るようなものの言い方をすること。もう一つは理詰めにとことんまで議論して、相手を完全に論破すること。」

 さて、あなたはどっちを選びます??

 本書の著者たちは迷うことなく「論破」を選びます。そして数学というのが論破のための学問だといいます。とはいっても、本書で彼女を口説く数学の話しはまったく出てこないのですね。それどころか、話しは思わぬ方向へ向かっていきます。それでは数学を論破のための完全な道具にするためには、数学そのものに間違いや矛盾がないということを証明しなければなりません。おいおい、そんな無理なことしたら死ぬぞ、と思わず叫ぶところですが、実際にこれに取り組んで死んだ人は数知れず、なのだそうです。紀元前300年ごろにギリシャで活躍した人から現代の気鋭の数学者まで、この問題に取り組み続ける「数学バカ列伝」。これが本書の面白いところです。
 

■たかが記号、されど記号

 それでその数学バカたちが教えてくれる論破の方法を見たところで、まあ、彼女を口説けるとはとても思えないところがこの愛すべき数学バカたちのご愛嬌というところでしょうか。しかしそんな人たちが身を削って真剣に考えてくれたおかげで私たちがいまあたりまえと思っているいろんな便利が発明されていたりするわけですね。いまあたりまえのように使っている数字も、アラビアの数学者たちが発明してくれなかったら、ものすごい不便な数字になっていたかもしれないのです。2016年をMMXVI年と書くローマ数字なんかを今も使っているとすると、ぞっとしますね。それから0という数字を発見してくれたインド人。もし0がなければ2016は216と書くことになり、なんのこっちゃとなります。

 たかが記号、されど記号。本書では記号作りの名人ライプニッツなど、記号にまつわる多くのエピソードも紹介され、楽しめます。
 

■世界でもっとも長く使われた教科書

 ところで、古代ギリシャの数学者エウクレイデス(ユークリッド)の書いた「原論(エレメンツ)」という本は、20世紀初頭まで数学の教科書として使われ、今も私たちがならった数学のかなりの部分がこの本に書かれたように教えられています。人類の歴史で最も長く使われている教科書ですね。



 そんな2500年もの間愛された「ユークリッド幾何学」が現代数学によってはじめて塗り替えられているそうです。「ユークリッドの第5公準」を書き換えると、あら不思議、日常生活で直接観察できる世界とは異なった世界が現れます。いちばんわかりやすい「非ユークリッド」の世界は、地球の表面ですね。地球は球なので、平行線を書いてずーっと伸ばしていけばいずれ交わります。「平行線は交わらない」というユークリッド幾何学の世界も、人間が決めた決まりごとのひとつの世界なのです。「平行線は交わる」と決めてしまえば、あら不思議、紙の上の世界から地球規模の世界に広がります。目に見える現実とのすり合わせより、論理的に矛盾がなければ新しい可能性を追求していく。はためにはけったいな研究に見える現代数学も、多元宇宙論などを生み出して宇宙の解明に大いに役立っています。


■数学で口説けるのか??

 さて私がたいへん気になるのは、冒頭でご紹介した本書のテーマである「論破」の話しです。パスカルがいうように、他人を説得するのに「完全な論理で論破する」ことは「人の気に入るような言葉で語る」よりも効果的なのでしょうか。おそらく日常生活の中では論破するより人の気に入る言葉で語ることの方がよほど効果的なのはみなさん経験のあることではないかと思います。

 愚痴を聞くときには傾聴することが大事で、問題解決しようとしないほうがいいとよく妻に言われます。妻が愚痴を言っていると、ついつい真剣にその問題をどう解決するかと考え、熱くそれを語ってしまうことがあります。つまり、論破しようとするのですね。ところが、それがかえって妻の気分を害し、挙句の果てには「あんたに解決してもらおうと思ってない」と言われ「ほんなら相談するなよ!」などとわけのわからない事態になっていくものです。こういう経験を繰り返すと、「問題解決」や「論破」が必ずしも効果的な方法ではないことに気づきます。

 パスカルも偉大な哲学者でしたから、むろんこういう日常的な問題に気づいていないことはなかったのかもしれません。ただ、パスカルを含めて論破の手続きである「科学」に依拠することは、近代社会を構築するという時代の要請に合致していたのではないでしょうか。産業社会も、民主主義制度もこうした「科学」の力、数学的論証力を原理にして構築されてきたことを思えば、「論破」はやはり大きな説得力を持っていたと言わざるを得ません。それに対して今は、「論破」で押し切ることのできない小さな物語にも目を向ける時代となり、本書の意図も伝わりにくい社会になってきたのかなと感じています。

 
■数学の進化と真価

 現代人は知らない間に自然と「進化主義」になっています。古いものより新しいののほうが進んでいて、昔の人間より今の人間の方が進歩していると自動的に考えています。だから「それは古い!」というとき、たいていそれは悪い意味で言っています。だけど、本当に人間は昔と比べて進化した、進歩したと言えるのでしょうか?日頃はそんなことを疑ってもみないのは、やはり科学技術の進歩が果たした役割は大きいですね。

 一方向的な進化、進歩、経済的発展という概念を見直すことは現代哲学の一つの潮流となっています。その目から見れば本書は科学主義、本質主義、進化主義に属するものとなるのかもしれません。確かに本書では、ではなぜ数学を発展させなければならないのかという文明論にふれることはまったくありません。これはまた数学者に課せられた新たな課題なのかもしれません。とはいえ、本書に書かれている数学の「進化の物語」は私たちがしっかりと継承すべき大切な知的遺産だと思います。これから世界の文明はどのように変化するのかを考える上で、科学技術の根幹にある数学について知っておくことはとても大切なことだと考えさせられる1冊です。

 
■お子さんが数学嫌いにならないために!

 進化主義や科学主義をいくら批判しても、科学技術とその根幹である数学が今後も人間の能力を判断する一つの重要な基準である事情は変わらないと思います。ですので残念ながら子育て中のお父さん、お母さんは数学コンプレックスから逃げることはできません。英語がいくらもてはやされていようとも、英語力より数学力の方が圧倒的にもらえる給料に対する効果は上です。

 そんなお子さんにとって本書はすぐに効果のあるものとはなりません。そこはやはり学校の授業での集中力、よい参考書、よい問題集に場合によっては塾や家庭教師が必要でしょう。それにかかわらず、この本はお子様がいらっしゃるご家庭では必ず1冊さりげに国語辞典の横あたりにおいておいた方がいい本です。それほどわかりやすく、大切なことにふれた本だと思います。

 学校での算数・数学の教え方は、計算ができるかどうかというスキルに重点がおかれています。これは子どもたちが「なんでこんなこと勉強せなあかんねん!」という疑問を持つ前に詰め込んでおこうという魂胆からそうなっているのであって、まあ、現実問題としてそうなるのもいたしかたないという面はあります。しかしいずれこの複雑な想像力や煩雑な手続きを要求してくる学問はうっとうしくなり、なんとなくそれが面白いと思えるほどにはまった子たち以外には、敬遠されることになってしまいます。そんなときに数学のロマンを語ってくれるのが、本書です。いつか子どもがこの本を手に取ってくれる日を楽しみにしていただき、それまではご自身でぜひお楽しみくださいませ。