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【ブックForever #10】『芸能人はなぜ干されるのか?芸能界独占禁止法違反』星野陽平著

[ブックFOREVER] 2016年09月01日
SMAP解散騒動を読み解くための芸能界裏事情解説書
ブックソムリエ鍋島です。

 芸能界事情にはたいへん疎かった私が今週選んだ一冊はえぐいくらい芸能界の裏事情を描いたこの1冊です。『芸能人はなぜ干されるのか?』というセンセーショナルなタイトルのついた本書は、しかし、ただの暴露本ではありません。ジャーナリストが本気で挑んだ芸能界の社会政治的分析は、芸能界にあまり関心のない方も一読の価値はあると思います。

 

■SMAP解散の違和感

 そもそもこの本を読んだきっかけは、SMAP解散報道です。夜中にオリンピック中継を見ているさなかに飛び込んできたニュース速報「SMAP解散」。2016年1月の事務所離脱騒動の時からこの問題には大きな違和感があったのでその後の動向や飛び交う誹謗中傷合戦を観察してまいりましたが、違和感はつのる一方ですね。そんな違和感を説明してくれるよい本はないかと探して見つけたのが本書です。本書を読んだ今ではなぜこのような騒動になるのかわかるようになりました。目からうろこの本です。

 ではまず私の感じた最初の違和感を列挙してみましょう。

①    なぜ「独立」や「解散」が速報でテロップ表示されるほどのニュースになるのか?これについては流すマスコミ側には「それほど重要な国民的関心事」という逃げ口上があると思いますが、やはりなんだかざわざわと違和感が生じます。ファンなら速報は歓迎でしょうが、「SMAP解散」は本当に「国民的関心事」なのでしょうか。私が直感的に感じたことは、マスコミはこれを「国民的関心事」にしたいのだな、という意図です。

②    それよりもっと強烈に違和感があったのは、2016年1月の『SMAP×SMAP』という番組の冒頭で「事務所独立」で「国民を騒がせた」として謝罪するSMAPです。これは二重に衝撃でした。まず、事務所独立がなにゆえ「国民をお騒がせする」いわば犯罪的行為なのか??会社をやめるたびにいちいち謝罪する人はおらんやろ~。というより、普通は社員が辞めるのは社員のせいではなくて会社の責任やろ~。有能な社員を引き留められないのは、会社に甲斐性がないからであって、やめる社員のせいじゃぜったいにないぞ。会社をやめると言い出したらこんな見せしめにされました、なんてことがもしあなたの会社であったならばと考えると、これは不思議な、気持ちの悪い事態ではありませんか?世間でいうブラック企業って、こういうことする会社のことではないのですか??

③    それで今度は解散騒動。この解散、そもそも会社を辞めさせてくれなかったという話しが発端なのに、そのことは不問に付されて今度は「解散」の是非が「国民的関心事」になって、マスコミをあげての「誰が犯人か?」というまさかの個人攻撃合戦。木村主犯説と香取主犯説に大きく「世論」は分かれているようですが、あろうことかその奥さんまで犯人扱い。1月の独立騒動で、SMAPはジャニーズ事務所の意向を無視して独立することはできないいわば隷属的状態にあるということが世間に公開されたも同然なのに、今度の解散ではまだSMAPの個々のメンバーに決定権があったかのような報道。SMAPのメンバーたちは解散については自分たちで決められるが、事務所からの独立は自分たちで決められないということですか?そんなちぐはぐな「権限」というのはいったいどうやって成立しているのでしょうか?

④    さらに腑に落ちないのは、あれだけ独立したがっていたSMAPのメンバーたち。今度は全員独立しないという選択。SMAPを解散する=自分たちの共有ブランドを捨てるというものすごく損な選択をしてなお会社にとどまる理由はなんですか??普通の会社員の常識ではもはや理解できません。

 

■SMAP解散予言の書?

 2014年に書かれた本書ですが、実はSMAPの独立、解散についてすでに書かれています。おっと、これは「予言の書」か??実はそうではなくて、1996年に起こった木村拓哉さんの独立問題だったのですね。この当時はメディアも大騒ぎにはならず、いつの間にか決着がついていたのでした。そして本書を読む限り、今回の「騒動」は20年前の木村さんの独立問題と深くつながっていたのだなという印象です。

 

■芸能界の不思議を謎解き

 さて、元の疑問に戻ります。

 マスコミはなぜSMAP問題を異常に取り上げるのでしょうか。そして世間ではブラック企業しかしないであろう退職拒否やそのあげくの見せしめ行為、さらには本人たちを悪者にしたてあげてまで断行するブランド破壊行為。そんなことをされてもやっぱり退職しない人たち。なぜ?

 その答えは本書ですべて氷解するはずです。

 日本の芸能界は、人が一般に保有するもろもろの自由、すなわち基本的人権を、原則として認めない労使関係を暗黙の(時には契約や協約として明示的に)前提とし、それによって芸能事務所に偏った利益配分がなされる構造になっているそうです。この利益配分のうまみを業界全体として維持するために、芸能事務所から「独立」「移籍」というようなかたちで逃れようとするタレントを、場合によっては業界から完全にパージしてしまうための談合体質ができあがっています。こうした理由で日本の芸能界では昔から、この掟にそむいた、あるいはこの掟を牛耳る権力者の不興を買ったものは、「干される」という憂き目を見ることになります。

 本書で取り上げられた「干された芸能人」の実例を拾ってみましょう。

 北野誠(松竹芸能)
 鈴木あみ(エージーコミュニケーション)
 セイン・カミュ(稲川素子事務所)
 水野真紀(バーニングプロダクション)
 松方弘樹(バーニングプロダクション)
 川村ゆきえ(ラグスタープロモーション)
 眞鍋かおり(アバンギャルド)
 小林幸子(幸子プロモーション)
 野久保直樹(ワタナベエンターテインメント)
 水嶋ヒロ(研音)
 沢尻エリカ(スターダストプロモーション)

 このほかにも、SMAPをはじめとしたジャーニーズ事務所、戦後最大の芸能プロダクションと言われた渡辺プロダクション、お笑いを事実上独占する吉本興業、事務所に銃弾を撃ち込まれるなど暴力団とのうわさが絶えないバーニングプロダクションについてはそれぞれ章をさいて詳しく解説されています。

 もちろんこうした芸能プロダクションだけで芸能人を「干す」という行為が完結するわけではありません。実際には特定の芸能人の出演を突如としてやめてしまうテレビ局、ラジオ局や、特定の芸能人を中傷する記事を書く新聞社、雑誌社があって「干す」は完結します。なぜメディアの側がこれに協力することになるのか、その背後にあるメディア側の弱点や、いつのまにやらできあがってしまう癒着の構造などが、戦前からの芸能史をふりかえりながら、あるいはアメリカや韓国の事例も検証しながら紹介されています。

 マスメディアを使ったエンターテインメントの世界はその規模の大きさからものすごく大きな経済的、政治的、社会的影響力を持ちます。そうであるだけに深い欲望の世界であることは理解できます。その欲望の構造に干される側の芸能人ももちろん無関係ではないでしょう。これは欲望と欲望が激しくぶつかり合う空間でできています。その欲望の連鎖が巻き起こす「異常事態」を日本ではコントロールできておらず、様々な問題を発生させていることを、著者の星野陽平は鋭く追及しています。

 それにしても最悪なのは、このような基本的人権をないがしろにする「パージ行為」を反社会的なものとしてメディアは批判しないのです。なぜなら、もし芸能界のこの掟に弓を引けば、メディアもまた芸能界で干されてしまうからです。ジャニーズ事務所を悪として追及する論調を立てたテレビ局やラジオ局にはSMAPはおろかジャニーズ事務所に所属する芸能人は誰も派遣されることはなくなり、これらの芸能人の人気によって番組が成り立ち、スポンサー収入を得られるテレビ局はたちどころに困ってしまうからです。新聞も、芸能人による面白いスクープをリークしてもらえなくなるのです。このような「腐敗の構造」こそが最大の問題だと著者は指摘します。


■メディアの不正義

 「知る権利」は基本的人権の根幹にかかわる権利です。メディアが権力や金によって規制されたり、あるいは腐敗してしまうと、私たちの耳には大切な情報が入ってこなくなります。あるいは故意に歪められた情報によって私たちはだまされ、私たち自身が犯罪に加担してしまうこともあります。現実に、本書ではメディアによって歪められた情報が伝えられてるために視聴者が芸能人バッシングに加わっている状況も詳しく描かれています。SMAP解散をめぐっていまメディアで巻き起こっている個人攻撃は、まさにこの典型的な事例なのですね。いまSMAP解散をめぐって、メンバーの誰が一番悪いかを論じてなにになるというわけでもないのに、執拗に特定個人を「戦犯」とするかのような発言や報道は、その背後に芸能事務所による情報操作が潜んでいると、疑ってかかる必要がありそうですね。私たちもまた気づかぬうちに芸能人を干す側に加担させられています。

  国家によるマスメディア規制に対してマスコミ各社が極めて敏感に反応し、こぞって反対意見を述べるのは、メディアの「言論の自由」こそ、国民の「知る権利」を守る礎だとする強い正義感が横たわっているからです。

 ところが本書が指摘するのは、その同じマスコミが、芸能界の掟という巨大な利権に絡んでしまい、「情報、金、恫喝、暴力」によって言論の自由を自ら封印してしまっているということなのですね。本書のもっとも重要な論点はここであって、芸能界の裏話を面白おかしく書こうとしているわけではないのです。

 各芸能事務所は様々なかたちでメディアの担当者にある時は便宜を供与し、ある時は恫喝して自分たちの支配下に記者やプロデューサー、場合によっては重役クラスを取り込んでいきます。今回のSMAP報道では「ジャニーズ御用新聞」「御用雑誌」などと呼ばれているいくつかのメディアはジャニーズ事務所からの「大本営発表」に従って記事を書いているものと思われます。しかしそれを批判するメディアも今回はたまたまジャニーズ事務所とつるんでいないだけで、基本的には同じ構造の中にいる人たちですから、その批判の矛先は決して自分たちのおかれている業界の体質そのものを問い直すという議論にならないのです。SMAP解散報道も、いつまでもどうでもよい中傷合戦、暴露合戦に終始し、いっこうに希望が見えないのには、こうした壁が存在しています。このままでは残念ながらSMAPも芸能界の闇に葬られてしまうのかもしれません。事態がメディアというまさに問題を告発していくべき社会的責務を担っている人たち自身の問題なだけに深刻なことと言わざるを得ないでしょう。

 芸能人自身もまたこの問題において無罪ではありません。「干されるのは、次は自分の番」かもしれないとは思いながら、事情をわかりながら干す側に加担している芸能人はたくさんいることでしょう。

 私たちもまた芸能界の闇について、それが「法の及ばぬ異界」であり、芸能という暮らし方を選択するのであればそれはいたし方ないことだと、どこかで思ってはいないでしょうか。すべての人々に等しく法が及んでいることが重要であることは誰もが認めることではあると思うのですが、芸能界についていえばなんとなく別の論理が働いてもいてもいいのかなぁ・・という感覚。著書の星野陽平は、こうした考え方こそ芸能人差別であって、日本人が中世から変わらず芸能を異界と考える文化を持ち続けている問題を指摘しています。こうした芸能人差別を社会問題として提起した俳優の三国連太郎や山城新伍の功績も本書の最終章で紹介されています。


■SMAPの公開処刑

 1月に私たちがみたあの不可解なSMAPの謝罪放送。本書の文脈から推察すれば、これは芸能界の掟を破ろうとした人たちに対する公開処刑だったということです。告発人はジャニーズ事務所。被告はSMAPの5人。処刑人はフジテレビ。

 それだけに事態はとどまらず、解散、さらには事務所への縛りつけと、業界による罰は公開で加えられていきます。見えないところで彼らがさらにいじめを被っている可能性もありますね。


 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」日本国憲法第31条


 これは「リンチの禁止」という近代国家がよって立つ大原則の一つです。芸能界やメディアには法にかわって人に刑を加える権限はありません。芸能人が独立したり移籍することを一方的に「犯罪」としてこれにリンチを加える世界が厳然とここにある。SMAPのメンバーたちが沈黙を通じて語ろうとしているのは、そのことではないかと思うのです。

 そしてこの問題は芸能界だけでなく、私たちの生活にも少なからずあることだと、私たちは知っているはずです。


<了>