

「百人一首」誕生の地、嵯峨野でくずし字を学びましょう。
蕎麦屋の看板から、茶室の掛け軸まで、実は意外と目にしている「くずし字(=変体仮名)」。




あまり学ぶ機会の少ない「変体仮名」を、身近に楽しく学べる講座をご用意しました。
- 教材は江戸時代の教科書!?
その中身は、学校やかるた遊びで一度は触れたことのある百人一首。
寺子屋気分で学んでみませんか?
※第一期の「往来物」を読み終わり次第、新しいテキストを読み始めます。
- 会場は通常非公開の百人一首誕生地!
平安時代に藤原定家が百人一首を編纂したと言われる場所に立つ庵「厭離庵(えんりあん)」。
通常は紅葉の時期にしか拝観することができないこの庵を、ご住職のご厚意で教室として使用します。
風情あるお庭の普段は見る事の出来ない四季をお楽しみください。
もちろん講座期間中には紅葉の時期も含まれていますので、一般の方とはまた違った目線からも紅葉のお庭をお楽しみください。
● 今後の開催予定 ●
直接「厭離庵」へお越しください。
開場:13時 開始:13時半
第6回 2018年3月11日(日)
第7回より講義時間が変わります。
会場12時半 講義13時~14時半
第7回 4月21日(土)
第8回 5月19日(土)
第9回 6月16日(土)
第10回 7月14日(土)※第2週
第11回 8月25日(土)※第4週
第12回 9月15日(土)
原則第3土曜日。
◆終了分◆
第1回 2017年10月21日(土)
散策「嵯峨釈迦堂、慈眼堂、厭離庵」
講座「変体仮名の誕生とその特徴、百人一首概論」
第2回 2017年11月11日(土)
講座「百人一首」散策「嵯峨菊鑑賞」
第3回 2017年12日2日(土)
講座「百人一首」散策「紅葉狩」
第4回 2018年1月13日(土)
講座「百人一首」散策「竹林巡り」
第5回 2018年2月2日(日)
講座「百人一首」散策「大沢池」
● 受講の流れ ●
①ご予約
WEBサイトまたはメールでお申し込みください。
shimamura@manarevo.com (担当:島村)
※メールでお申し込みの場合は、【お名前、電話番号、初回参加希望日】をご連絡ください。
②集合
12時半~13時の間に、厭離庵へお越しください。
③お支払い
会場のスタッフへ受講料(3,000円)をお支払いください。
※初めての方は教材費も併せて頂戴します。
④講義スタート!
講義時間は約90分を予定しています。
座敷での講義ですので、必要な方は正座椅子をお持ちください。
休憩には定家も使ったかもしれない!?「柳の水」で淹れたお茶をお出しします。
● 教材と宿題 ●
教材について
①プリント(江戸時代の往来物「百人一首」) ※会場にて1部500円で販売いたします。
②『原色小倉百人一首』文英堂(ISBNコード:97845781000645) ※事前にご用意ください。
名称 | 嵯峨野で学ぶ「変体仮名」講座 「百人一首」誕生の地、嵯峨野でくずし字を学びましょう。 |
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講師 |
早川聞多 (ハヤカワ モンタ)
![]() 美術史家・国際日本文化研究センター名誉教授 昭和45年 国際基督教大学中退後、昭和49年 東京大学文学部哲学科卒業。 昭和55年 大阪大学大学院・藝術学東洋美術史学修士修了。 昭和53年 大和文華館学芸員に、昭和62年 国際日本文化研究センター助教授を経て平成13年同教授に。 平成27年に国際日本文化研究センター名誉教授。 主な著書、『蕪村画譜』 (毎日新聞社)、『夜色楼台図』(平凡社)、『水墨画の 巨匠―蕪村』 ( 講談社)、"The Shunga of SUZUKI Harunobu; Mitate-e and Sexuality in Edo", Nichibunken Monograph Series No.4(国際日本文化研究セ ンター)、『春信の春、江戸の春』(文藝春秋社)、『春画・秘めたる笑いの世界』(洋泉社)、『春画の見かた10のポイン ト』(平凡社)、『現代語訳・春画』(新人物往来社)、『春画』大人の愉しみシリーズ1(すばる舎)、『英語と現代文でたのしむ春画・歌麿「願ひの糸ぐち」』大人の愉しみシリーズ2(すばる舎)など。 |
開催日 |
原則第3土曜日
都合により前後する場合がございます。
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開催時刻 |
13:0~12:30 |
定員 | 15名 |
受講料 |
3,000円(税込)/回
※受講料は当日会場にてお納めください。 ※館外特別企画の為、各種割引対象外です。 |
場所 |
厭離庵(えんりあん)
〒616-8427 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2 電話:075-861-2508 【交通案内】 市バス 嵯峨釈迦堂下車 徒歩約10分 JR嵯峨嵐山駅 徒歩15分 ![]() 臨済宗天龍寺派の寺院。藤原定家の小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰したところという。のち荒廃し、江戸中期に令泉家が修復。霊元法皇から厭離庵の号を賜わる。その後再び衰え、明治に入り復興。書院のほか、茶席時雨亭、定家塚などがある。(非公開)明治四十三年白木屋社長大村彦太郎氏が佛堂と庫裡を建立され山岡鉄舟氏の娘素心尼が住職され以後尼寺となる。 『京都観光Navi』より |
備考 |
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