本の部屋Blog

【ブックFOREVER #4】『プレカリアート』ガイ・スタンディング著

[ブックFOREVER] 2016年06月18日
ドラッカーさんよ。あんたの言う通り知識社会になったけどさ。けっこうそれもしんどいのよね。
■学術書の効用

 学術書を読むのは少々骨が折れますね。

 しかも学術書は高い。よくて1万部。ふつうは1000部くらいをターゲットに売ってますから、1冊当たりの単価は高くなってしまいますね。

 そんなハードルの高い学術書をなぜ読んだ方がよいかというと、そのほかのジャンルの本とは情報のクオリティがまったく違うからです。学者が人生を賭けて研究していることを情熱で書き上げるわけですから、それもそのはずです。そこに投入されている時間と情熱の量がすごいのです(むろん、そうした学術書の一般的水準に乗っかって売る、質の悪い本があることも確かですが)。私が学術書を読んでいちばんおもしろいと感じるのは、最先端の学術書には未来の予言が詰まっていることです。

 学問というのは現在わかっている事実を積み上げて物事を証明していくという作業なのですが、その結果、いまはまだわからないことについて「こうなるのでは?」という、いわゆる「仮説」というものが生まれてくるわけですね。アインシュタインの研究の魅力のほとんどはその仮説の確かさにあったのですね。彼は宇宙についてたくさんの仮説を提示しましたが、それがいまなお次々と実証されています。優れた予言というのは、膨大な事実の中から生まれる。これこそが学問の力です。


■プレカリアートって、なんだ?

 今回ご紹介するのは社会学の本です。ロンドン大学の先生、ガイ・スタンディングが書いた、ニートやフリーターといった非正規労働者に関する研究です。本のタイトルである「プレカリアート」は、15年ほど前にイタリアの若い労働者たちが自分たちのことをそう呼び始めたことからこの世にあらわれた新しい言葉です。不安定という意味を持つprecarious という単語と労働者という意味のproletariat という言葉を組み合わせて、precariat になったのですね。 プレカリアートという言葉はこれから流行ると思います。いまはまだまったく一般化していない概念ですが、メディアでもてはやされる日は近いと思います。日本ではじめて出版されたプレカリアートを冠する本書。この6月に上梓されたばかりなので、新しい物好きな人はいまのうちにおおいに知ったかぶっておいてください。後に「あんたの言うとおりになったな」となることは請け合いです(笑)。
 

■知る人ぞ知る、ユーロ・メーデー

 さて、みなさんはユーロ・メーデーという活動をご存知ですか。メーデーといえば5月1日に行われる労働組合のお祭りというような印象と思います。いまでも世界中の労働組合が5月1日に組合員を動員してデモンストレーションを行っていますね。

 ユーロ・メーデーというのは、イタリアの若者たちが伝統的な労働組合のメーデーとは別に、「俺たちがほんとうにいいたいことを言おうじゃないか」ということではじまったもので、いまでは毎年ミラノに10万人を集め、ヨーロッパ各地に飛び火しています。デモの内容も自由で、活気があって、楽しくて、まるでカーニバルなのだそうです。中には高級食材店に奇妙な仮装をして押し入り、商品を盗んで困っている人に分け与える「鼠小僧」みたいなまねをする人たちもいるみたいで、やや迷惑で面倒な人たちもいるようです。そしてこのユーロ・メーデーに集まった人たちは自分たちのことを「不安定階級(プレカリアート)」と呼んでいるのです。伝統的な労働運動の不活性化とは裏腹に、いま急伸している新しい労働運動です。

 

■プレカリアートの特徴

 ユーロ・メーデーを中心とする人々の新しい労働運動はいくつかのユニークな特徴を持っています。

 一つは、労働の非正規性です。正社員として雇用されている人々の労働運動が既存の労働組合とすると、ユーロ・メーデーは日本でいうところのフリーター、派遣社員などの非正規労働者を中心とした運動です。

 二つ目は、雇用主との自由な関係性です。フリーターという働き方は、正社員にしてくれないからそういう不安定な関係になっているという面があります。その一方で、フリーター自身がこれまでの労使関係のように時間と忠誠心で強く縛られる関係を望んでいないという面もあります。ユーロ・メーデーに集まる若者には、独立心が強く自由を重んじる傾向が強い傾向があると言われています。

 三つめは、移民労働者との連帯です。ユーロ・メーデーは移民労働者を「デニズン(denizen)」と呼びます。中世のイギリスで使われたこの古い言葉は、市民権の一部しか与えられなかった外国人や帰化者を一般の市民(citizen、シチズン)から区別するために使われた言葉でした。ユーロ・メーデーはこの死語となりつつあった概念に新しい用法を与え、「移民労働者をデニズンからシチズンへ!」を合言葉に、国籍にとらわれない運動を展開しています。

 こんな彼らは自らのことを新しい階級、「プレカリアート」と呼んでいるのです。

 

■新自由主義経済政策とプレカリアート化

 スタンディング教授はユーロ・メーデーに共感していることは疑いないと思われますが、もちろんそこは学者ですからできるだけ客観的に分析をすすめます。すなわち、プレカリアートという存在はすでに階級として成立しているのかどうかという点です。

 彼は世界中の労働統計や雇用関係の動向を比較し、労働の非正規化がグローバルに同時多発的に進行している事態であることを指摘します。その引き金となったのは1970年代以降に主流を占めることとなった新自由主義経済政策です。日本はその典型で、詳しく紹介されています。

 これと軌を一にして移民労働者の増大も起こっています。日本でも「実習生」や「日系外国人」という名目で外国人労働者の増大が起こっています。

 

 スタンディング教授はこうした政策が、「労働力の流動化」という大義名分のもとに、それが社会にどのような変化をもたらすのかという見通しと対策もまったくなしに進められたことに厳しい批判の目を向けます。そしてさらに深刻な問題は、いまだどの国も、プレカリアート化する社会で生じる問題を解決しようとする政策を持っていないことだと指摘します。このまま世界がどんどんプレカリアート化していくとどうなっていくのか?

それが本書で仮説として生き生きと描かれていきます。最悪のシナリオと最善のシナリオの二つが描かれているので、みなさんもご自身の仮説を描きながらお楽しみください。ちなみにその「最悪のシナリオ」だけは本書のサブタイトルに書かれています。「不平等社会が生み出す危険な階級」と。これはあくまでも仮説ですので、必ずしもそうなるとスタンディング教授が言っているわけではありません。書名や帯などは著者とは関係なく、出版社の特権とみなされるという慣習が、出版業界ではあります。本の中身がいくら立派でも、本屋で消費者が買ってくれないと作家も収入は得られないのです。したがってとんでもない書名がつけられることがあるのですね。私の知人で東ヨーロッパの文化研究をしている人がいて、その人が本の一部にユダヤ人の影響力について書いたら、なんと本のタイトルが「おそるべきユダヤの陰謀」というものになってしまって頭を抱えていたことがあります。恐るべきは出版社の陰謀かもしれません。

 

■知識社会の衝撃?

 話しは脇道へそれてしまいました。

 前回【ブックFOREVER #3】では、ドラッカーの知識労働者論をとりあげました。ドラッカーは労働者が知識化することによって給与水準は上昇し、労働時間は短縮することのメリットを大いに喧伝し、たしかに20世紀後半は彼の指摘したとおりになったと言えます。ドラッカーの予言を実現させた原動力はなんといっても20世紀の大学教育の整備でした。日本でも戦後は国立大学の拡充に精力的に取り組み、莫大な私学助成と税制上の優遇で私学も応援して、大学進学率は50%を超えるにいたりました。

 アメリカは州立大学システムとコミュニティカレッジシステムを通じていまや大学教育と無縁な人はほとんどいないというような状況になっています。ヨーロッパの国々では大学教育を無償化して、国民の高等教育への門戸を大幅に拡充しました。

 こうした努力が功を奏して「知識社会」が誕生したと言えます。知識社会化は、固定的な時間と業務に縛る「レーバー(労働)」よりも、創発的なアイデアを重視する「ワーク(仕事)」を重視する社会へと人々を変動させ、雇用関係の流動性も求めました。このような変化を背景に、すべての人々の雇用関係の流動化という「パンドラの箱」を開けたのが新自由主義政策であったということでしょう。スタンディング教授はこのパンドラの箱の中から最後には「希望」が出てくることを願わずにはいられないのですが、しかしその一方で次々とでてくる「災厄」を数えないわけにもいかないというわけです。

 

■自由で伸び伸びと仕事をしたい!!ついでに儲かったらうれしいな。

 ところで、大学教育を受け、知識をツールとする人間はこれまでのとは異なった働き方を求めるようになります。決められた時間の枠組みの中で、雇い主が指示することだけを指示されたとおりにやっていくという従来の労働と雇用関係が、どうにも奴隷的なものに見えてくるのですね。しかし現実に「自由で伸び伸びしていて、かつ安定した収入が得られる」という環境は、残念ながらわずかしかありません。私は企業の大小を問わず、経営者がこうした状況を「最近の若者は勘違いしているやつが多い」と嘆き、厳しいトレーニングと叱責でこれを矯正しようとするのを見ました。その一方でそうした環境で労働者が壊れないないようにと「メンタルヘルス」が盛んに勧められます。また一方では、「雇われるのはバカ。自分で起業するのが正解」などと無責任な焚きつけも後を絶ちません。なんだかちぐはぐで、私たちは自己像を見誤っているような気がします。こうした事態も、この50年におきた劇的な社会変動を考えればさもありなんです。

 プレカリアート化という命題で問われているのは、私たち自身の自己像の修正かもしれません。すっかり新しいからだになってしまった私たちは、どんな心をもって生きていくべきなのでしょうか。 

 了

 
 追伸:イギリスのスタンディング教授は若者のサブカルチャーに共感してプレカリアートという切り口を選んでいますが、もっとオーソドックスに労働経済学的なアプローチで脚光を浴びているのが、フランスのトマ・ピケティですね。ピケティの本もOBPアカデミアにあるので、お手にとってみてください。ただし、こっちはもっと難解な学術書であると、警告しておきます。午睡の枕にぴったりかも(笑)